当山はもと真岳山長泉寺明王院と号し、天台宗の宗祖伝教大師さまが入唐求法の途次に奠定せられた所で、承和年中(830年代)に慈覚大師さまがお師匠即ち伝教大師さまのご芳跡をたずねて巡錫せられ、ここに秘密灌頂の道場を開創された。爾来、備陽の地の数百ヶ寺の末徒に伝法し法燈大いに耀いた。
永長元年(1096年)8月、白河天皇の第一皇女媞子内親王(郁芳門院)様が崩ぜられ、父帝は非常にこれを悲しみ給い、六條御所(京都)の荘園をそのまま寺と為してその菩提をお弔いになった。これを六條院と云う。平忠盛はその所領である大島の郷を院に寄進して荘園となし、明王院本堂の前庭に地蔵尊堂を建立してその供養の道場とした。これが実に当山大仙堂の起元であり、六條院の地名の起こる発端でもある。
安徳天皇ご西幸の砌には鳳輦を当山に駐めさせられ、永く御願寺として荘園数十町歩を給せられ、人法共に栄えた。
天正年中、秀吉が中国征伐の時、明王院住持がその陣中に候せず、為めに寺の所領が全部没収せられてしまった。慶長年中、時の住持がその知行人である小堀作助(小堀遠州の父)を伏見の旅宿に訪い、懇ろに所領の安堵を願い出たが許されず、その代りとして岡山県後月郡西江原村の地に僅に微禄を与えられたのみであった。
寛永19年(1642年)12月13日、祝融の災あり、たまたま藩主池田光政、廃仏毀釈の苛烈を極めていた時で、当時の末寺64ヶ寺のうち25ヶ寺が取り潰されてしまった。この藩主の圧政に善処せんが為めに、東叡山輪王寺の宮 守澄法親王の命を拝し、当山第22世として天祐大和尚を迎え奉る。時に延宝4年(1676年)大和尚年歯僅かに26歳、爾来97歳ご入寂に至るまで、辛苦経営して旧模の一部を復興す。旧本堂(現在の観音堂)、大書院、庫裡、鐘楼等これである。
池田継政世をつぎ、自ら寺号を書して「真岳山大護寺」を当山に賜う。是れより旧称である長泉寺を改め「大護寺」を公称する。
天祐大和尚は元禄5年に4代将軍の13回忌、同9年に17回忌に出府の命あり、元禄6年には輪王寺宮一品親王御上洛につき上京色衣の綸旨あり、元禄13年3代将軍第50回忌には日光山に参向、次いで東叡山に罷り越し4代将軍の21回忌をお勤めしておられる。大和尚の直弟子が天亮大和尚、孫弟子が紫巌亮香、当山第26世を董す。その下に密成僧敏あり、共に安楽律の盛行期に際し著述する処多く、徳行世に称せらる。慶応3年、王政復古に際し、延暦寺直末となる。
古来潅頂の行われたる記録、論義の行われた記録等夥しく残る。第38世亮薫大和尚の折、戦後「1年1事業」を目標に諸堂境内を改修、整備、建立し、昭和63年には念願の多宝塔を建立した。続いて第39世亮公(現住職)代には平成15年5月、檀信徒の協力を得て歴代住職の永年の悲願であった新本堂建立の慶事に至る。
開創以来実に1200年、法燈伝わること39世。
備中國 天台宗 真岳山 大護寺 明王院
第39世 吉山 亮公 識
涅槃図(絹本著色仏涅槃図)
岡山県指定重要文化財
縦 188cm 横 161.6cm
室町時代 吉山明兆 作
涅槃図とはお釈迦さまが入滅される情景を描いた図です。沙羅双樹の下に横たわるお釈迦さまの周りに多くの弟子、菩薩、天部などが集まり嘆き悲しんでいる様子が描かれています。明王院では毎年2月15日の涅槃会にこの涅槃図を本堂ご本尊前にお祀りし仏遺教経読誦法要を厳修しています。
紫巌唯聞画像(絹本墨画淡彩亮香紫巌画像)
浅口市指定文化財
田中索我筆の明王院第26世亮香(1738~1811年)の肖像画です。
図上には、自らの古希にあたりこれを授かったとの亮香自筆の賛詞があります。亮香大和尚は学識高く、比叡山に興った安楽律に入信し唯聞とも称した高僧です。甘露庵を建立創始した開祖でもあります。
密成僧敏画像
密成僧敏は明王院第26世亮香大和尚の弟子であり、寛政9年に比叡山に於いて亮香大和尚より菩薩戒を受けています。天台教学、密教、禅、浄土教に通じ、著述するところも多くある高僧です。
1.駐車場
駐車場は3ヶ所ございます。
2.手水舎
手水にて手を浄める
3.本 堂
ご本尊さまにお参り
お墓参りの方
六地蔵さま
各霊苑の入口に居られる六地蔵さまにお参りののち、お墓へ。
霊場参拝の方
1.寺務所
御朱印をご希望の方は御朱印帳をお預けください。
2.本堂、大仙堂、観音堂
通常参拝、伝教大師霊場参拝の方は本堂へ
中国地蔵尊霊場参拝の方は大仙堂へ
備中西国霊場参拝の方は観音堂へ
明王院では
仏前結婚式を承っております。
ご希望、ご質問など
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